第2回 江戸時代の論語の学び方

論語を楽しむブログです。

今回は、江戸時代の論語の学び方についてお話しします。

論語朱子学の重要な書物になった

中国では昔から多くの注釈が作られてきました。特に有名なのが、南宋朱熹(しゅき 1130-1200)による『論語集注(ろんごしっちゅう)』です。現在、私たちが入手できる論語本の多くが朱熹の注釈に基づいていると言われています。

朱熹は、孔子らの教え(儒教)を体系化し、朱子学を確立したことで知られています。論語朱子学の重要な書物として普及しました。

日本では江戸時代に論語が普及した

徳川家康は幕府の礎を確かなものにするために教育に着目し、朱子学を重用しました。その教科書の一つである論語を、江戸時代の人々は、藩校や塾などで学びました。

國學院大學メディア「江戸時代、『論語』は必要な教養だった」によると、江戸時代には多くの論語の解説書が出版されました。初学者のための解説書である「訓蒙書(きんもうしょ)」の主な読者は商人、農民でした。100種類以上が出版されたそうです。江戸時代の人々の論語に対する関心の高さがうかがえます。論語は、江戸時代の価値空間に少なからぬ影響を与えたと考えられます。

江戸時代には会読という論語の学び方があった

前田勉『江戸の読書会』によると、江戸時代の論語の学びには、本の文字を、声を出して読み上げる「素読(そどく)」と、先生の解説を聴く「講釈」の他に、「会読」という方法がありました。会読は、輪講、グループ討議であり、次のようなものでした。

「受講生十人ほどが一グループになり、当日クジで決められた者が予め指定されているテキストを読んで講義をする。他の者は疑問点や問題点を質問し、講者が答える。先生は口を出さず、意見が対立したときやどうしても答えが出ない時に判定を下す。」

会読は、伊藤仁斎荻生徂徠が始めたとされています。荻生徂徠は、講釈には聴講者が自分で思うこと、考えることをしなくなってしまうという弊害があると批判しました。彼には、学問は自ら疑問を持ち、主体的・能動的に考えることが大事なのであって、なんでもかでも懇切丁寧に教えられるべきではないという学問観がありました。

江戸時代の論語の学び方をみると、基本は客観を重視した学びなのですが、主観も大切にしていたことが分かります。

客観を重視した学び

ここで言う客観を重視した学びとは「多くの人々が、確かだ/妥当だ、とみなすもの」を重視して学ぶことを指します。その分野の権威の結論や科学的に導出された結論は、多くの人々を納得させます。論語の解釈であれば『論語集注』や、儒教論語の権威(先生方)の解釈がそれに相当します。それを聴き、身につけるという学びです。儒教を学ぶ目的で論語を学ぶ場合はこの学びが採用されます。

 主観を重視した学び

ここで言う主観を重視した学びとは「私の関心/私にとっての意味」を重視して学ぶことを指します。学びの対象には多様な関心を受け入れる側面があるとみなし、それぞれが、それぞれの関心から見出せる側面から学びます。

たとえば、自動車が対象だとしましょう。同じ自動車でも「作る立場からの関心」と「運転する立場からの関心」は違うものになります。自動車はこの二つの関心を受け入れる側面を持っていると言うことができます。

武士だけでなく商人や農民までが論語を学んでいました。それぞれの関心が同じとは思えませんので、それぞれの関心から論語を学んでいたと推察できます。つまり論語はそれぞれの立場からの関心を受け入れる側面を持っている」と言えます。この論語の特徴を活かして、主観を重視した学びで論語を楽しみましょう、というのがこのブログの趣旨です。

 

今回はここまでです。

次回は、論語の学びと楽しみについてお話しします。