第25回 学而第一(13)

論語を楽しむブログです。このブログの楽しみ方については「第4回」を御覧下さい。

今回は、学而第一(13)です。

 

本章は「この章の解釈には諸説あるが、いずれも今一つ判然としない(井波律子『完訳 論語』)」と言われるように、分かり難い章です。そこで、理解しやすいように、書き下し文と逐語訳を並列に示すことにしました。

 

学而第一(13)の書き下し文と逐語訳(1)

有子曰く、:(有先生がおっしゃった)

信、義に近ければ、言(げん)復(ふ)むべきなり、

:(約束が、道理にかなっていれば、約束の通り遂行するべきだ)

恭(きょう)、礼に近ければ、恥辱に遠ざかる、

:(恭しい対応が、礼にかなっていれば、恥をかくことはない)

因(いん)、その親(しん)を失わざれば、また宗(たっと)ぶべきなり。

:(頼る人が、親しみやすさを失わないのなら、敬意を払うべきだ)

 

この逐語訳を基に、その意味を主観的に捉えて、今の社会に当てはまる教訓を見出すこと、日本語として自然になること、を意識して、次のように解釈しました。

訳:本ブログの主観読みによる解釈

物事を為す上で必要な要素というものがある。

その要素がどの程度織り込まれるのかが、その物事の成否に影響する。たとえば、

1.約束に必要な要素に「義(道理に適うこと)」がある。

約束に、「義」が全くないのなら、約束を交わしてはならない。

約束をするなら、できる限り「義」に適うようにしなさい。

「義」に適うほど、約束が果たされる確率は高くなるだろう。

2.丁寧に敬意を表したいときの振る舞いに必要な要素に「礼の形式」がある。

その振る舞いに、「礼の形式」が全く見られないなら、恥をかくだろう。

丁寧に敬意を表したいのなら、できる限り「礼の形式」に適うよう振る舞いなさい。

「礼の形式」に適うほど、恥をかく確率は低くなるだろう。

3.リーダーに必要な要素に「親しみやすさ」がある。

「親しみやすさ」が全くないと、リーダーとしての敬意は払われないだろう。

リーダーとして頼りにされる存在でありたいのなら、できる限り「親しみやすく」ありなさい。親しまれれば、リーダーとしての敬意を失うことはないだろう。

例1:信と義

「信」を「約束/約束を守る誠実さ」と捉えます。約束にとって大切な要素が「義(道理、正義)」です。例1の教訓は、「義」のない約束はしてはならない、約束をするならできる限り「義」に適うようにしなさい、ということです。契約も約束ですから、「道から外れた=不道徳な/反社会的な内容」が含む契約を交わしてはならない、「道理に合わないうまい話」に乗ってはいけない、という教訓にもなります。

例2:恭と礼

「恭」を「恭しさ=丁寧な敬意をもった振る舞い」と捉えます。その振る舞いにとって大切な要素が「礼の形式」です。例2の教訓は、「礼の形式がない=失礼な」振る舞いは恥をかくからやめなさい、丁寧に敬意をもった振る舞いをしたいのなら、できる限り「礼の形式」に従いなさい、ということです。前章の教訓も活かしましょう。礼は「和」を尊重しますので、関係者が共有する「節度」の範囲内で「礼の形式」に適えば恥をかくことはありません。「丁寧に敬意を表したい、かつ、恥をかきたくない」という要望には、今の私たちの社会では、様々なマナー教室が応えてくれます。孔子儒家たちは、2500年前のマナー教室の先生という側面を持ちます。

例3:因と親

「因」を「頼ること=その人についていくこと」と捉えます。ここでは、敢えて「頼られる側=リーダー」に注目して、リーダーの教訓を見出します。リーダーにとって大切な要素が「親(親しみやすさ)」です。例3の教訓は、リーダーに「親しみやすさ」がなければ、リーダーとしての敬意を払われなくなる、ということです。「親しみやすさ」は「好感度」あるいは「好感度を高める要素の一つ」として捉えることができます。リーダーも「好感度」が必要ということです。今の私たちの社会では、厳格なリーダーよりも、好感度が高いリーダーを求める傾向が強くなっている気がします。

では、古代中国では「リーダーの好感度」は意識されていたのでしょうか。2500年前の孔子の時代において古典とされる詩経に、衛の国の王(武王)を讃えたとされる「淇奥(きいく)」という詩があります。「切磋琢磨」の出典で知られた詩です。王をアイドルのように讃えている詩なのですが、その詩の最後で、その王のことを「善く戯謔(ぎぎゃく)すれども 謔を為さず=しゃれた冗談も言われるが、度を超すことはない。」(2)と述べています。この詩を読む限り、古代中国でもリーダーの好感度は重視され、「親しみやすさ」はその要素の一つだったと推察することができます。

 

今回はここまでです。

注)この記事にある解釈は筆者の主観による解釈です。

 

参照・引用

(1) 書き下し文と逐語訳は、以下を引用・参照、編集して採用させて頂きました

書き下し文:『論語 (漢文叢書)』WIKISOURCE

逐語訳:下村湖人『現代訳論語青空文庫

(2) 平賀光明他「孔子と『詩経』」白帝社 2020