第27回 学而第一(14)その2

論語を楽しむブログです。このブログの楽しみ方については「第4回」を御覧下さい。

今回は、学而第一(14)その2。前回の続きです。

 

書き下し文と逐語訳を並べて示します。

学而第一(14)の書き下し文と逐語訳(1)

子曰く、君子:(先生がおっしゃった。君子はー)

食は飽くことを求むる無なく、居は安きことを求むる無し、

:飽食を求めず、安居を求めず、

事に敏にして、而して言を愼(つゝし)み、

:仕事は素早く、言葉はひかえ目、

有道に就きて正さば、

:有徳の人に就いて自分の言行の是非をたずね、過ちを改めることに努力している。

學を好むと謂(い)うべきのみ。

:こうしたことに精進する人をこそ、真に学問を好む人というべきだ。

 

本ブログでは、次のように解釈しました。

訳:本ブログの主観読みによる解釈

君子は以下の特徴を持つ。

1. 欲望に支配されない

2. 仕事が早い

3. 自分を成長させてくれる人々と親交を深める

4. 学びを好む

  

本章は君子の特徴を述べています。ここでは、今の私たちに合うように、「専門領域において優れている」かつ「人格者」を君子と呼ぶことにします。

前回は特徴1について見ていきましたので、今回は残りの特徴を見ていきます。

2. 仕事が早い

「君子は、行動(善いことへの取り掛かかり)は素早い、言葉は慎重で少ない」というイメージを孔子は持っています。孔子は、言葉よりも実践が大切だと考えていて、言葉が先行することを嫌っていました。この一文には、その考えがよく反映されています。

今の私たちの社会では、言葉も大切ですので、ここでは、「言葉は、必要十分で無駄がない」と解釈したいと思います。そのことは、特に、「仕事ヘの取り組み」という側面に当てはまりますので、文全体をその側面から解釈することにします。

君子は、やるべき事を的確に理解するので、速やかに行動に移すことができ、速やかに結果を出すことができます。そして、余計な修飾語を用いたりせずに、無駄の無い必要十分な報告を行います。そのような人に対して「仕事が早い」という言い方がよく使われます。

君子は「仕事が早い=行動は速やか、言葉は必要十分」という特徴を持ちます。

3. 自分を成長させてくれる人々と親交を深める

前回のブログを読んだ方から、この特徴に関して「人生においてはメンターも必要ですね」という感想を頂きました。「手本になる人から学ぶ」は今も昔も同じです。ちなみに、メンターとは「良き指導者、優れた助言者、恩師のことで、仕事やキャリアの手本となり、助言・指導をしてくれる人材のこと」(2)です。有道の人と言えるでしょう。

少し注意が必要なのは、君子は、「自分を成長させてくれる人」を主体的に識別し、その人と親交を深め、その人から学び、自分を成長させる、という点です。

論語では「人を知ること=賢者を識別すること」の大切さがよく語られます。それだけ人の識別は難しいのです。百点満点の完璧な人を探すのではなく、特定の側面でよいので「手本になる人」を見つけるのが現実的です。

4. 学びを好む

君子は、己の未熟さを自覚しています。だから、学びを怠りません。

また、学びによって自分が成長することを楽しみます。だから、学びを好みます。

本ブログの君子の定義から、君子の学びの対象は「専門性」と「善き生き方」です。

今の日本では、学校で前者を学べます。

孔子は「善き生き方」を語りました。その言葉が織り込まれた論語は、江戸時代には広く、深く学ばれていました。これが典型的な後者の学びです。

世界史的に見れば、近代資本主義の興隆によって、人々の関心が「モノの豊かさ=お金」に向けられるようになり、「モノの豊かさをもたらす=善」「道徳的/倫理的=善」の上位に位置するようになりました。

更に、今の日本では、前者の「善」にとって役に立たないものを学ぶ必要はないとみなされるようになりました。学校で、論語などの古典を学ぶ機会が激減しているのも、その理由があると考えられます。このことは「善き生き方」を学ぶ機会の減少を象徴しています。そのせいか、日本では「精神の無い専門家、魂のない享楽的な人間」(2)が増加し、君子が減少しているように思えてなりません。

そのような社会だからこそ、君子の特徴や、君子の今日的意義を考察することには意義があります。

 

今回はここまでです。

注)この記事にある解釈は筆者の主観による解釈です。

 

参照・引用

(1) 書き下し文と逐語訳は、以下を引用・参照、編集して採用させて頂きました

書き下し文:『論語 (漢文叢書)』WIKISOURCE

逐語訳:下村湖人『現代訳論語青空文庫

(2) コトバンク「メンター」

(3) マックス・ウェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神