第19回 学而第一(8) その1

論語を楽しむブログです。このブログの楽しみ方については「第4回」を御覧下さい。

今回は、学而第一(8)その1です。

学而第一(8)の書き下し文と訳

書き下し文『論語 (漢文叢書)』WIKISOURCE

子曰く、君子重からざれば則ち威(い)あらず、學べば則ち固ならず、忠信を主とし、己に如(し)かざるものを友とするなかれ。過(あやま)たば則ち改むるに憚(はゞか)るなかれ。

訳:下村湖人『現代訳論語』青空文庫

 先師がいわれた。――

「道に志す人は、常に言語動作を慎重にしなければならない。でないと、外見が軽っぽく見えるだけでなく、学ぶこともしっかり身につかない。むろん、忠実と信義とを第一義として一切の言動を貫くべきだ。安易に自分より知徳の劣った人と交っていい気になるのは禁物である。人間だから過失はあるだろうが、大事なのは、その過失を即座に勇敢に改めることだ。」

 

論語には「人の上に立つ者」、今なら、マネジャー、管理者、リーダーという立場の人にとって役立つ教訓が語られている章がたくさんあります。本章もそのひとつです。

一見、バラバラなことが語られているように見えますが、このブログでは、「人の上に立つ者の意志決定に関する教訓」というテーマで一貫して、それらを捉えてみました。

 

:主観読みによる解釈

人の上に立つ者は、次の点を心がけなさい。

軽薄な意志決定で役割に対する信頼を損ねないようにすること。

だからといって、決めたことに固執しないで、必要な変更を柔軟に行うこと。

状況の変化を分析し、その変化の意味をよく考えること。そうすれば必要な変更は自ずと見えてくるだろう。

変更を柔軟に、円滑に進めるためにも、人の上に立つ者もメンバーも、日頃から取り組みに誠実に向き合い、お互いの信頼関係を築いておくこと。

(以下は次回)

 

重からざれば則ち威あらず

重要な職/役割になるほど、その職/役割自体が「人の気持ちに伝わるもの」を持ちます。それがプレッシャーを与えることもあります。それを「威」とみなします。

今の日本なら、たとえば、大臣は重要な職/役割であり、「威」があると認められていると思います。しかし、「法律を守らない法務大臣」や「ITを知らないIT担当大臣」などのような例が続くと「大臣とはその程度のものか」とみなされ、大臣の「威」は損なわれてしまうでしょう。

それが「重からざれば則ち威あらず」です。

ここでは「重からざれば」とは「職/役割の重さに相応しくない能力、行為」とみなしますが、その中でも、特に、「意志決定」に焦点を当てます。職/役割が重くなればなるほど、その意志決定の持つ意味は重くなります。その重さに相応しくない思慮に欠けた意志決定や場当たり的な意志決定を続ければ、「威」は損なわれてしまうでしょう。

学べば則ち固ならず

軽薄な意志決定と見られたくないために、一度決めた決定に固執し過ぎることもよくあります。孔子はその点もフォローして、必要な変更には柔軟に対応しなさいと説きます。

状況は変化します。想定していた前提が変わることもあります。

そもそも、私たちは未熟であり、知らないこと、予測できないこともたくさんあります。

情報の収集に努め、それを基に状況の変化を分析し、その意味を考える必要があります。そうすれば、自ずと必要な変更が明らかになります。

それが「学べば則ち固ならず」です。

忠信を主とする

しかし、変更には反発がつきものです。メンバーにとっては、やり直しになることもあります。それによって、モチベーションを低下させることもあります。

お互いの信頼関係が、そのような停滞に向かう状況を緩和させ、前進へと反転させます。

その信頼関係は日々の「取り組みに対する誠実な対応」によってもたらされます。

上に立つ者はもちろん、メンバーも、常日頃から、取り組みに誠実に向き合うことを心がけ、その姿勢をお互いが理解すれば、信頼関係が生まれます。それが、変更に限らず、取り組み全体を円滑に進めるための基になります。

それが「忠信を主とする」です。

 

今回はここまでです。続きは次回に。

注)この記事にある解釈は筆者の主観による解釈です。