第28回 学而第一(15)

論語を楽しむブログです。このブログの楽しみ方については「第4回」を御覧下さい。

今回は、学而第一(15)です。

書き下し文と逐語訳を並べて示します。

学而第一(15)の書き下し文と逐語訳(1)

子貢(しこう)曰く、:子貢が先師にたずねた。――

貧にして諂(へつら)うこと無く、富んで驕(おご)る無きは如何(いかん)。
:「貧乏でも人にへつらわない、富んでも人に驕らない、というほどでしたら、立派な人物だと思いますが、いかがでしょう。」

子曰く、可なり、
:先師がこたえられた。―― 「先ず一とおりの人物だといえるだろう。

未(いま) だ 貧にして樂み、富みて禮(れい)を好む者に若(し)かざるなり。
:だが、貧富を超越し、へつらうまいとか驕るまいとかいうかまえ心からすっかり脱却して、貧乏してもその貧乏の中で心ゆたかに道を楽しみ、富んでもごく自然に礼を愛するというような人には及ばないね。」

子貢曰く、
:すると子貢がいった。―― 「なるほど人間の修養には、上には上があるものですね。

詩に云(い)う、切するが如(ごと)く磋(さ)するが如く、琢(たく)するが如く磨(ま)するが如しとは、其(そ)れ斯(こ)れの謂(い)いか。
詩経に、切るごとく、磋るごとく、琢つごとく、磨くがごとく、たゆみなく、道にはげまん。とありますが、そういうことをいったものでございましょうか。」

子曰く、賜(し)や、始めて興(とも)に詩を言う可(べ)きのみ、
:先師は、よろこんでいわれた。――「賜よ、お前はいいところに気がついた。それでこそ共に詩を談ずる資格があるのだ。

諸(これ)に往(おう)を吿げて、而(しこ)うして來(らい)を知る者なり。
:君は一つのことがわかると、すぐつぎのことがわかる人物だね。」

解説

長い章なので、今回は主観読みによる訳は割愛して解説をします。

孔子に、弟子の子貢が、「貧乏でも諂わない。富んでも驕らない」という生き方は善き生き方だと思うのですがいかがでしょうか、と問います。孔子は「それもよかろう」と答えます。同意できる人は多いと思います。ところが、孔子は、その生き方は「貧しくても楽しみ、富んでも礼を好む」という生き方には及ばないと付け加えます。

なぜ「より善い」のでしょうか。その理由を考えるのが本章のメインテーマです。

「諂わない/驕らない」「楽しむ/好む」のキーワードに着目して考えてみましょう。主体性の発揮の方向が逆であることに気がつきます。前者は「~しない=行動の制約」という方向を、後者は「楽しむ/好む=主体的=成長/行動の拡がり」という方向を向いています。

また、「諂わない」は「道を楽しむ」に包含されます。後者は前者よりも抽象度が高いと言えます。

孔子「“主体性を活き活きと発揮する生き方”の方がより善いだろう?その中にお前の言う善き生き方も含まれるだろう?」と説いたわけです。

論語には「楽しむ/好む」がよく見られます。論語の冒頭:学而第一(1)の「学び」にもありました。本章でも「楽しむ=道を楽しむ=学び(修養)を楽しむ」とみなすことができます。それが主体性の発揮の中身です。

子貢も、「楽しむ/好む」に「修養に励む」が含意されていることに気づき、「詩(詩経)」(2)にある言葉を思い出したのではないでしょうか。それが「切磋琢磨(=玉を磨くこと=自分自身を磨くこと=たゆまぬ修養)」です。そうして、孔子の説く生き方がより善いことを理解したのだと思います。

思いがけなく、詩を用いて的を射たリアクションをした子貢に対して、孔子「共に詩を語り合える人物だ!」と絶賛します。孔子は常々弟子達に「詩を読み、詩から学びなさい」と指導していました。しかし、孔子の期待に応える弟子は少なかったようです。

更に孔子「往を告げて来を知る者だ!」と感心します。これは当時知られていた熟語で「少し話を聞いただけで、語られていないことまで推察できる(一を聞いて十を知る)人」を指します。

子貢のとったリアクションを一言で言えば「打てば響くようなリアクション」と言えます。孔子の褒めようから「打てば響くようなリアクションを返してくれる人とのコミュニケーションがいかに楽しいものか」がよく伝わってきます。

なお、当時の人は、本名と字(あざな)(3)を持っていました。孔子が呼んでいる「賜」は本名(姓は端木(たんぼく)、名は賜(し))です。「子貢」は字です。

現代人が大切にしている価値観に「自由」があります。その自由の本質は「主体性を活き活きと発揮できること」であることはよく知られています。

本章で孔子が語る善き生き方に、現代の自由の本質を感じとることができます。

 

今回はここまでです。

注)この記事にある解釈は筆者の主観による解釈です。

参照・引用
(1)    書き下し文と逐語訳は、以下を引用・参照、編集して採用させて頂きました
   書き下し文:『論語 (漢文叢書)』WIKISOURCE
   逐語訳:下村湖人『現代訳論語青空文庫
(2)    『詩経』・国風・衛風・洪澳(きいく)
(3)    コトバンク 字(あざな)
「長上の者に対しては自分を本名でいい、同輩以下の者には字を使い、他人をよぶときにも字を使い、とくに目下の者に対する場合や、親や師がその子や弟子をよぶ場合には本名を用いました。」