第23回 学而第一(11) その2

論語を楽しむブログです。このブログの楽しみ方については「第4回」を御覧下さい。

今回は、学而第一(11)その2です。

学而第一(11)の書き下し文と訳

書き下し文『論語 (漢文叢書)』WIKISOURCE

子曰く、父在(いま)せば其の志を觀(み)、父沒すれば其の行を觀る、三年父の道を改むる無きは、孝と謂(い)ふ可(べ)し。

 

下村湖人『現代訳論語』青空文庫

割愛します(第22回 学而第一(11)その1を御覧下さい)。

 

前回は、「父」を「経営者」と置き換えて、事業継承についての教訓を見出しました。

今回は、「先人」と置き換えて「先人が築き上げたものの継承」という観点から本章の教訓を見出します。

教訓

先人が築き上げたものには、先人の思い、知恵、経験が織り込まれている。それらは、今でも意義を持つものも多い。先人の苦労を理解すれば、それらを軽々に変えるべきではないことが分かるだろう。それが先人に対する敬意というものだ。その上で、熟慮し、その結果、それらを変える必要があると判断するのなら変えればよい

憲法を変える

最近、日本国憲法を変える(改憲)という話題がよくみられるようになりました。

憲法を復習します。ジョン・スチュアート・ミル(1806 – 1873)の『自由論』(1)によると、支配者(統治者)の権力を制限することが、人々の「自由」の中身であり、憲法に基づく権力行使のチェックもその一つでした。

「近世になって、政治上の自由主義的要求に基づき、様々な専制特に君主の専制権力に対して制約を加えるための、一定の政治原理を含む基礎法が確立され、これを憲法とよぶようになった(2)のでした。

現代の憲法には「先人の思い、知恵、経験」が織り込まれています。

具体的には、近代西洋で起こった「支配からの解放=自由の獲得」という歴史的な流れの中で生まれた様々な価値観や原理(国民主権など)が織り込まれています。

それらの多くは、今では水や空気のように当たり前に必要なものとみなされていますが、多くの時間をかけ、多くの人々の血が流されて、獲得されたものなのです。

そのことを理解すれば、マスコミが作るムードだけで軽々に憲法を変えてはならない、ということが分かります。それが先人への敬意です。

そのような敬意を払った上で、何が問題で、なぜ法律ではなく憲法を変えねばならないのか、変えることで先人によって獲得された価値観や原理を失うことはないのか、などを熟慮した結果、それらを変える必要があると判断するのなら変えればよいのです。

それが、本章の教訓です。

手段の目的化

改憲の議論の中には「変えること」を目的とした議論が見られます。「変えること」は手段です。そのように、ある目的を実現するために手段を選択したはずなのに、その手段を実行すること自体が目的化してしまうことを「手段の目的化」と言います。

通常、何かに取り組む場合、目的に応じた目標が設定され、その目標に達していなければ、その手段の妥当性が問われます。目標は手段の妥当性を判断する反証を提供します。ところが、手段を目的化すると反証可能性を見いだせなくなることがあります。

大阪では「身を切る改革」によって医療体制を大幅に縮小して、新型コロナで大きな被害を受けました(3)。その意味では「改革」は失敗と言えるでしょう。

しかし、もし「改革という手段」を目的化して、「達成されていないのは改革だ」とすり替えて、「まだ改革が足りない」を失敗の理由にすることができればどうなるでしょう。「改革」の失敗を確認(反証)する手段はなくなります。成果の出ない「改革」は「改革が足りない」という理由で永遠に続くことになります。それはもはや「改革」という名の宗教です。

 

小泉純一郎首相(当時)は、構造改革、特に、郵政民営化に反対する人々を「抵抗勢力」と呼び、「変えない人=既得権者=悪人」というイメージを作り上げました。郵政民営化で私たちの暮らしや社会がどう良くなるのかという目的の議論は曖昧にされ、民営化という手段の達成が目的に据えられて、その是非が問われました。この手法で選挙に圧勝して以来、その手法が目につくようになりました、

今では、日本は、改革という言葉が氾濫し、「変えない人=既得権者=悪人」というイメージが定着し、改革という手段の目的化が日常化した、「改革教の国」になったのかと思えるような社会になりました。

そのような社会だからこそ、本章の教訓が意義を持ちます。

 

今回はここまでです。

注)この記事にある解釈は筆者の主観による解釈です。

 

参照・引用

(1) ミル『自由論』光文社 2012 第1章

(2)    コトバンク日本大百科全書(ニッポニカ)「憲法」の解説
(3)    長周新聞 「「維新」が壊した大阪の医療」2020年12月20日

 

 

第22回 学而第一(11) その1

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今回は、学而第一(11)その1です。

 

学而第一(11)の書き下し文と訳

書き下し文『論語 (漢文叢書)』WIKISOURCE

子曰く、父在(いま)せば其の志を觀(み)、父沒すれば其の行を觀る、三年父の道を改むる無きは、孝と謂(い)ふ可(べ)し。

 

下村湖人『現代訳論語』青空文庫

 先師がいわれた。――

「父の在世中はそのお気持を察して孝養をつくし、父の死後はその行われた跡を見て、すべての仕来りを継承するがいい。こうして三年の間父の仕来りを改めず、ひたすら喪に服する人なら、真の孝子といえるであろう。」

 

前回(第21回)、学而第一(9)では、

「道徳の根本は人を大切にし、人との関係を大切にする心にあり、その根本に基づく道徳は、その人が生きているときだけに限られるわけではなく、その人が亡くなったときでも、亡くなった後でも、実践することができる」

ということを述べました。

本章は、「孝」という道徳について、その具体例を述べています。

 

:本ブログの主観読みによる解釈

親が存命中は、親の考えを尊重して、親に敬意を払う。

親が亡くなった後は、親が遺したものを尊重して、親に敬意を払う。

そうして、親の考え、遺したものの意味をよく考え、それらを軽々に変えるようなことはしないようにする。

熟慮した上で、変える必要があると判断したなら変えればよい。

そのように敬意をもって親に接するのが孝である。

 

ハビトゥス(habitus)

孔子が生きた2500年前は、男社会であり、身分社会でした。歴史的に見れば、つい最近まで、日本もそうでした。本章にはその社会の反映が見られます。今の私たちにとっては、父と限定せずに、親として解釈するのが妥当です。そして、「其の志を觀、其の行を觀」に着目してみます。そうすると、ハビトゥスが思い浮かびます。

ハビトゥスとは「生活の諸条件を共有する人々の間に形成され、その集団の中で持続的かつ臨機応変に知覚・思考・行為を生み出す原理としてはたらく、心的諸傾向の体系。 フランスの社会学ブルデューが提起した概念」(1)のことで、簡単に言えば「家庭環境などを通して形成される、私たちの好みや考え方の傾向」のことです。その傾向は、自然に形成され、習慣のようになっています。たとえば、母親が、クラッシック音楽が好きで、クラッシック音楽をよく聴いていたという家庭環境で育った子供は、自然とクラッシック音楽が好きになるでしょう。それがハビトゥスです。

ハビトゥスに注目すれば、本章は、子供に対してハビトゥスを自覚して、その形成に関わった親に敬意を表し、それを大切にしなさい」とも読めます。一方で、それを親の立場で読めば「子供は親を見てハビトゥスを形成する。親はそのことを理解して行動しなさい」が含意としてあると解釈して、それを教訓として読みとることもできます。

儒教の死生観に基づいた「子」の役割を考えれば、「孝」は明らかに「子」の道徳なのですが、今の私たちにとっての意味を見出すために、非宗教的な側面から捉えてみると、そこから親の教訓を見いだせることも少なくありません。

事業継承

本章を読んで「事業継承の教訓」を読み取る人も多いと思います。

大塚家具の創業者とその長女の経営権をめぐる争いは事業継承の難しさを知らしめました(2)。事業を引き継ぐ者としては、これまでのやり方に縛られずに、自分がやってみたいと思うやり方にチャレンジしたいと思うのは自然なことです。

それに対して「前任者の考え方、構築した仕組みなどを、敬意をもって再評価し、軽々に変えることはせず、熟慮した上で、変えるべきと判断したのなら変えなさい」というのが本章の教訓です。

孔子「先人達が築き上げたものには、先人達の思い、知恵、経験が織り込まれていて、今でもそれは意義を持つ」と考えていました。だから、それを安易に変えてはならないと考えていました。「変えるな」というのではなく、「変えるときには熟慮せよ」ということです。

世界的に見て、日本は、100年以上続いている会社の数が多いことはよく知られています。そのような会社のほとんどは、同じ事業を続けてきたわけではなく、事業環境の変化に応じて事業内容も変化させてきました。変わることは大切です。しかし、変えて失敗した事例もたくさんあります。その中には、必要もないのに変えて失敗したものもあります。「何を変えて、何を変えずに守るのか」をよく考えることが大切なのです。

 

今回はここまでです。

注)この記事にある解釈は筆者の主観による解釈です。

参考・引用

(1)コトバンク デジタル大辞泉「ハビトゥス」の解説

(2)日本経済新聞「大塚家具の経営混乱、父と娘が対立」2015年2月27日

 

第21回 学而第一(9)

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今回は、学而第一(9)です。

学而第一(9)の書き下し文と訳

書き下し文『論語 (漢文叢書)』WIKISOURCE

曾子曰く、終(おわり)を愼(つゝし)み遠きを追へば、民の德厚きに歸(き)す。

 

下村湖人『現代訳論語』青空文庫

 曾先生がいわれた。――

「上に立つ者が父母の葬いを鄭重にし、遠い先祖の祭りを怠らなければ、人民もおのずからその徳に化せられて、敦厚な人情風俗が一国を支配するようになるものである。」

 

本章で目につくのは、葬儀、祖先を祀ることですが、今回は、それらを道徳の実践例とみなして後方に置いて、道徳の根本を前面に出して解釈しました。

 

訳:本ブログの主観読みによる解釈

道徳の根本は「人を大切にし、人との関係を大切にする心」にある。

その根本に基づく道徳は、

その人が生きているときだけに限られるわけではなく、その人が亡くなったときでも、亡くなった後でも、実践することができる。

そのような道徳の根本が社会に根付いていけば、自ずと徳の充実した豊かな社会になっていくだろう。

 

今の日本社会では、葬儀は慎んで行いますし、お盆に代表されるように、祖先を祀るという習慣もあります。その習慣を支えているのは、訳で示した道徳の根本と宗教の死生観です。そこで、この機会に、儒教の死生観についてみていきましょう。

儒教の死生観 招魂再生(1)

古代中国では人を「魂(こん)」と「魄(はく)」で捉えていました。「魂」は精神を、「魄」は肉体を支配する霊魂です。生とは「魂」と「魄」が一体化している状態です。死とは「魂」と「魄」が分離した状態です。「魂」は天に返り、「魄」は土に返りますが、その「魂」と「魄」は呼び寄せることができるものと考えられていました。それが「招魂再生(しょうこんさいせい)」です。儒者はその儀式を担っていました。

それぞれの霊魂が帰ってくる場所(依り代)が「位牌」、「お骨」です。「お骨」を管理する場所が「墓」です。霊魂を引き寄せるのに、お香(お線香)やお酒が使われます。

儒学の有力な学問である朱子学を創始した朱熹(1130-1200)は次のように説明します。

死とは、人間の身体を形成していた気が離散し、魂と魄が分離することである。魂は天に上昇してと呼ばれるようになり、魄は地に沈んで鬼(き)と呼ばれるようになる。これらは次第に拡散していくが、子孫が誠意を尽くして祀ることにより、先祖や亡き親の気(鬼神)は回帰する。

鬼神と災厄と祀り(2)

礼記(らいき)』は儒者達の礼に関する記述をまとめたものです。その中に「衆生必ず死し、死すれば必ず土に帰る、此を鬼と謂ふ」とあります。「鬼」は死者の霊を指します。「鬼」は子孫によって祀られねばならないものと考えられ、祀られる「鬼」は子孫を守護するものとして尊重されました。一方誰も祀る者がいない孤魂や非業の死を遂げた者は厲鬼(れいき)となり、人に災厄をもたらすものとして恐れられました。

このように「鬼」には守護してくれるもの、厄災を招くものという両面がありました。

したがって「鬼神」を祀ることは、国を治める者にとって重大な責務でした。

今の日本でも、戦争や災害で亡くなった方々を追悼する政府主催の式典が開催されます。式典は宗教的に中立な形で行われるよう配慮されますが、慰霊という宗教的な意味も込められていると考える人は少なくないと思います。

孔子と鬼神

では、孔子は「鬼神」についてどう考えていたのでしょうか。論語の中で、孔子は次のように語っています。「現世の親に仕えることができていないのに、鬼神(死後の親)に仕える話などできはしない」(先進第十一(12))、「人としての道理を得るようにつとめ、鬼神には敬意を表しつつ距離を置く。これが知である」(雍也第六(22))。

「鬼神」に対する孔子の冷静な/理性的な姿勢が伺えます。この姿勢を意外に思う人も多いと思いますが、論語を読む際に採るべき姿勢を示唆しています。論語は、道徳(倫理)的側面と宗教的側面を持ちます。孔子が重視したのは前者の側面です。後者の側面、儒教の教えという側面が強調されるようになったのは、孔子が亡くなった後の漢の時代とも言われています。本ブログでは宗教的な背景を念頭に置きつつも、道徳(倫理)的側面から論語に向き合います。それは、孔子の姿勢と重なるものと考えています。本章も道徳(倫理)的側面から解釈してみました。

 

今回はここまでです。

注)この記事にある解釈は筆者の主観による解釈です。

 

参考文献

本ブログでは、様々な文献を参照させて頂き、編集して引用させて頂いています。

主な参照文献を以下に示します。

(1) 儒教の死生観 招魂再生 に関して

加地伸行 他「こころの時代へようこそ 儒教の死生観」

葬仙ネットワークグループ「孔子時代の葬儀エチケット」

中村一基 他「霊魂観の行方」岩手大学

(2) 鬼神と災厄と祀り に関して

長谷川雅雄 他「「鬼」のもたらす病」南山大学

 

 

第20回 学而第一(8) その2

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今回は、学而第一(8)その2。前回の続きです。

学而第一(8)の書き下し文と訳

書き下し文『論語 (漢文叢書)』WIKISOURCE

子曰く、君子重からざれば則ち威あらず、學べば則ち固ならず、忠信を主とし、己に如(し)かざるものを友とするなかれ。過(あやま)たば則ち改むるに憚(はゞか)るなかれ。

下村湖人『現代訳論語』青空文庫

 先師がいわれた。――

「道に志す人は、常に言語動作を慎重にしなければならない。でないと、外見が軽っぽく見えるだけでなく、学ぶこともしっかり身につかない。むろん、忠実と信義とを第一義として一切の言動を貫くべきだ。安易に自分より知徳の劣った人と交っていい気になるのは禁物である。人間だから過失はあるだろうが、大事なのは、その過失を即座に勇敢に改めることだ。」

 

:主観読みによる解釈

人の上に立つ者は、次の点を心がけなさい。

軽薄な意志決定で役割に対する信頼を損ねないようにすること。

だからといって、決めたことに固執しないで、必要な変更を柔軟に行うこと。

状況の変化を分析し、その変化の意味をよく考えること。そうすれば必要な変更は自ずと見えてくるだろう。

変更を柔軟に、円滑に進めるためにも、人の上に立つ者もメンバーも、日頃から取り組みに誠実に向き合い、お互いの信頼関係を築いておくこと。

忖度して自分を低く見せ、聞き心地のよいこと(甘言)ばかり語る者は遠ざけ、

誠実で、聞き心地の悪いこと(諫言)も語る信頼のおける者を近くに置くこと。

そうして、意志決定に過ちが見つかったら速やかに是正すること。

面子(メンツ)に拘ってその是正を躊躇するようなことがあってはならない。

己に如かざるものを友とするなかれ

「己に如かざるものを友とするなかれ」を客観読みすれば「自分よりも劣る者を友人にするな」とも読めるようです。この解釈は結構流通しているようです。「朱に交われば赤くなる」の連想でしょうか。本ブログでは次のように解釈します。

上に立つ者は周りの意見に耳を傾けます。周りにいる者達の中には、太鼓持ち」、「イエスマンなどと揶揄されるような者達がいます。彼等は、忖度し、上に立つ者の気分を害さないよう常にへりくだり、上に立つ者の気分を良くするよう常に褒め称えます。それに惑わされて、意志決定の誤りを是正する機会を逃してしまうことがあります。だから、そのような者達を近くに置いてはなりません。それが「己に如かざるものを友とするなかれ」です。

では、どういう者達を近くに置けば良いのでしょうか。それは、直前に語られている「忠信を主とする」が示しています。誠実で信頼のおける者を近くに置きなさいということです。

「甘言耳に快く諫言耳に痛し」という言葉があります。誠実な者達の諫言は耳に痛いかもしれませんが、「学而第一(4)三省」で学んだ通り、それは取り組みの成功には欠かせないものです。

過たば則ち改むるに憚るなかれ

人は未熟なので過ちを犯します。状況を分析し、側近など関係者の誠実な意見に耳を傾けて、柔軟に対応して慎重に事を運んだとしても過ちを犯すときがあります。その過ちに気づいたときは「憚る=ためらう」ことなく速やかに是正する必要があります。それが「過たば則ち改むるに憚るなかれ」です。論語の中でもよく知られた教訓の一つです。

その是正を躊躇させる一番の原因として考えられるのが面子(メンツ)ではないでしょうか。国力に大きな開きがあり、戦争になったら負ける可能性が高いことを理解していた者が日本には多くいたにもかかわらず、アメリカに戦争を仕掛けて太平洋戦争は始まりました。その反省を調べると「軍部(陸軍/海軍)の面子(メンツ)」という言葉が見られます。「国の存亡」と「一部の組織の面子(メンツ)」を秤にかけて「面子(メンツ)」の方が重いと判断した「人の上に立つ者達」が、かなりいたということです。極端なウソのような話に見えるかもしれませんが事実であり、この他にも、面子(メンツ)を侮ってはならないという事例はいくつもあります。孔子の時代もそうだったのではないでしょうか。

 

本章は、バラバラに語られたことを寄せ集めたもの、とみなされることもあるようです。本ブログでは、主観読みで「威厳の大切さから始まり、面子(メンツ)に拘らないことの大切さで終えるという一連の流れがある」と読み取って解釈しました。

論語はいろいろな読み方を楽しむことができます。

 

教訓:本章の教訓をまとめます。

威厳を損なわないようにすることは大切なことだ。

しかし、面子(メンツ)に拘らないようにすることがそれ以上に大切なことだ。

もし、自分/自分たちに過ちがあると分かったら、躊躇せず、速やかに是正しなさい。

 

今回はここまでです。

注)この記事にある解釈は筆者の主観による解釈です。

第19回 学而第一(8) その1

論語を楽しむブログです。このブログの楽しみ方については「第4回」を御覧下さい。

今回は、学而第一(8)その1です。

学而第一(8)の書き下し文と訳

書き下し文『論語 (漢文叢書)』WIKISOURCE

子曰く、君子重からざれば則ち威(い)あらず、學べば則ち固ならず、忠信を主とし、己に如(し)かざるものを友とするなかれ。過(あやま)たば則ち改むるに憚(はゞか)るなかれ。

訳:下村湖人『現代訳論語』青空文庫

 先師がいわれた。――

「道に志す人は、常に言語動作を慎重にしなければならない。でないと、外見が軽っぽく見えるだけでなく、学ぶこともしっかり身につかない。むろん、忠実と信義とを第一義として一切の言動を貫くべきだ。安易に自分より知徳の劣った人と交っていい気になるのは禁物である。人間だから過失はあるだろうが、大事なのは、その過失を即座に勇敢に改めることだ。」

 

論語には「人の上に立つ者」、今なら、マネジャー、管理者、リーダーという立場の人にとって役立つ教訓が語られている章がたくさんあります。本章もそのひとつです。

一見、バラバラなことが語られているように見えますが、このブログでは、「人の上に立つ者の意志決定に関する教訓」というテーマで一貫して、それらを捉えてみました。

 

:主観読みによる解釈

人の上に立つ者は、次の点を心がけなさい。

軽薄な意志決定で役割に対する信頼を損ねないようにすること。

だからといって、決めたことに固執しないで、必要な変更を柔軟に行うこと。

状況の変化を分析し、その変化の意味をよく考えること。そうすれば必要な変更は自ずと見えてくるだろう。

変更を柔軟に、円滑に進めるためにも、人の上に立つ者もメンバーも、日頃から取り組みに誠実に向き合い、お互いの信頼関係を築いておくこと。

(以下は次回)

 

重からざれば則ち威あらず

重要な職/役割になるほど、その職/役割自体が「人の気持ちに伝わるもの」を持ちます。それがプレッシャーを与えることもあります。それを「威」とみなします。

今の日本なら、たとえば、大臣は重要な職/役割であり、「威」があると認められていると思います。しかし、「法律を守らない法務大臣」や「ITを知らないIT担当大臣」などのような例が続くと「大臣とはその程度のものか」とみなされ、大臣の「威」は損なわれてしまうでしょう。

それが「重からざれば則ち威あらず」です。

ここでは「重からざれば」とは「職/役割の重さに相応しくない能力、行為」とみなしますが、その中でも、特に、「意志決定」に焦点を当てます。職/役割が重くなればなるほど、その意志決定の持つ意味は重くなります。その重さに相応しくない思慮に欠けた意志決定や場当たり的な意志決定を続ければ、「威」は損なわれてしまうでしょう。

学べば則ち固ならず

軽薄な意志決定と見られたくないために、一度決めた決定に固執し過ぎることもよくあります。孔子はその点もフォローして、必要な変更には柔軟に対応しなさいと説きます。

状況は変化します。想定していた前提が変わることもあります。

そもそも、私たちは未熟であり、知らないこと、予測できないこともたくさんあります。

情報の収集に努め、それを基に状況の変化を分析し、その意味を考える必要があります。そうすれば、自ずと必要な変更が明らかになります。

それが「学べば則ち固ならず」です。

忠信を主とする

しかし、変更には反発がつきものです。メンバーにとっては、やり直しになることもあります。それによって、モチベーションを低下させることもあります。

お互いの信頼関係が、そのような停滞に向かう状況を緩和させ、前進へと反転させます。

その信頼関係は日々の「取り組みに対する誠実な対応」によってもたらされます。

上に立つ者はもちろん、メンバーも、常日頃から、取り組みに誠実に向き合うことを心がけ、その姿勢をお互いが理解すれば、信頼関係が生まれます。それが、変更に限らず、取り組み全体を円滑に進めるための基になります。

それが「忠信を主とする」です。

 

今回はここまでです。続きは次回に。

注)この記事にある解釈は筆者の主観による解釈です。

 

第18回 詩経 小雅 鶴鳴

前回「学而第一(7)」の冒頭は「賢を賢として色に易(か)へ」でした。賢者をアイドルのようにみなすのですから驚きです。

賢者に対する強い関心は、孔子が活躍した時代よりさらに古い時代の詩歌集である詩経にも載っています。今回はその詩経を鑑賞します。

詩経

中国最古の詩集で、黄河流域の諸国や王宮で歌われた詩歌305首を収めたものです。

西周初期(前11世紀)から東周中期(前6世紀)に至る約500年間の作品群が収められています。孔子が生まれたのが前550年ですから、その前の500年となります。孔子の時代から見れば古典です。ちなみに、日本で言えば、縄文時代末期から弥生時代に相当します。作者は、農民・貴族・兵士・猟師といった人々とされています。

本来は詩であり、論語の中でも詩と呼ばれています。

漢の武帝の時代に儒教の経典とされたため詩経と呼ばれます。

詩経に収められた詩は「風(ふう)」「雅(が)」「頌(しょう)」に分類されます。

「風」は国風とも呼ばれ、15の地域(国)の民謡が主です。恋の歌が過半数を占め、その他に、農民の生活の苦しさなどが歌われています。

「雅」は周王朝の宮廷の宴会で演奏された楽章です。長編で荘重謹厳な大雅と民謡風の小雅があります。今回は小雅の「鶴鳴(かくめい)」を紹介します。

「頌」は先祖の廟の祭りの時の楽章で、歌、音楽、舞踏が伴っていたようです。

詩のタイトルの多くは、冒頭の最初の句から二字を選んで題名にしています。

比喩(メタファ)などのレトリックが豊かで、読むのに想像力を必要とします。

その助けになるのが詩序」と呼ばれる「その詩の大意を述べた序文」です。詩経の詩序は後に付加されたもので、漢代の儒教思想が反映されていると言われています。

詩経に由来する四字熟語が知られています。鶴鳴の「他山の石」もそのひとつです。

他山の石

他国の山にある「玉を磨く砥石として使える石」のことで、他国にいる賢者の比喩として使われています。下記の「内磨き砥石」がその例です。

市報松江 2014.10 古代玉作の工具「内磨き砥石」(抜粋)

古代玉作の遺跡からは玉を磨くための各種の砥石が出土します。花仙山(かせんざん)周辺の玉作遺跡ではその多くが当地で産出する石材が砥石として使われています。その中で例外的に、他から持ち込まれた砥石材が、勾玉(まがたま)の内湾する部分を磨く専用の砥石で「内磨き砥石」と呼ばれるものです。(以下略)

 

ここまでの知識を基に「詩経 小雅 鶴鳴」の第二章を鑑賞しましょう。

書き下し文Web漢文大系 と直訳と意訳を並べて示します。

訳・解釈は、平賀他『孔子と詩経』村山『詩経の鑑賞』を参考にさせて頂きました。

詩経 小雅 鶴鳴:第二章

詩序:周の宣王に野にある賢者を求めるよう進言した詩

 

(かく) 九皐(きゅうこう)に鳴き 声 天に聞こゆ

鶴が奥深い沢で鳴いている。その声は天にまで聞こえている。

名声が世に響いている賢者もいる。その名声が天にまで届くくらい知れ渡っていることもある。

 

(うお) 渚(しょ)に在り 或(ある)いは潜みて淵に在り

魚が水際にいる。あるいは、深いところに潜んでいることもある。

賢者は身近なところにいることもある。あるいは、潜んでいることもある。

 

楽しきかな彼の園は 爰(ここ)に樹檀(じゅだん)有り 

人々が楽しむところの園には、大きなむくのきが生えている。

人々が集い、楽しむ場にも、目を引く賢者はいる。

 

其の下には維(こ)れ穀(こく)

その下には榖(こうぞ)が茂っている。

その賢者の陰に隠れて、目立たない賢者もいる。

 

它山(たざん)の石 以て玉(ぎょく)を攻(みが)くべし

他国ではありふれた山の石であろうとも、それが玉を磨くのに使える石なら使うべし

他国では凡庸とみなされている賢者もいる。

そのような賢者を見出し、重用して活躍してもらうべきだ。

 

様々な組織に「活躍の機会を与えられていない有能な人材」がいるのではないでしょうか。他山の石とはそのような人材を指します。

ところが、今の日本での「他山の石」の典型的な解釈は「他人のつまらない行動や、自分とは直接の関係がないものごとも、自分の行動の参考にできることのたとえ」(コトバンク)です。

内磨き砥石の例で見たとおり、玉を磨く砥石にできるのは、それにふさわしい石だけです。つまらない石ではありません。それを、「つまらない」に注目し、強調して解釈するところに賢者に対する関心の無さが伺えます。文化の違いを感じさせられます。

 

今回はここまでです。

注)この記事にある解釈(意訳)は筆者の主観による解釈です。

引用・参照:詩経については以下から一部引用・参照させて頂きました

1. フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』/詩経 

2. コトバンク/日本大百科全書「詩経」の解説  

 

第17回 学而第一(7)

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今回は、学而第一(7)です。

学而第一(7)の書き下し文と訳

書き下し文:『論語 (漢文叢書)』WIKISOURCE

子夏曰く、賢を賢として色に易(か)へ、父母に事(つか)へて能(よ)く其の力を竭(つく)し、君に事へて能く其の身を致し、朋友と交わり、言ひて信有らば、未だ學ばずと曰(い)ふと雖(いへど)も、吾は必ず之(これ)を學びたりと謂(い)はん。

訳:下村湖人『現代訳論語』青空文庫

 子夏がいった。――

「美人を慕う代りに賢者を慕い、父母に仕えて力のあらんかぎりを尽し、君に仕えて一身の安危を省みず、朋友と交って片言隻句も信義にたがうことがないならば、かりにその人が世間に謂ゆる無学の人であっても、私は断乎としてその人を学者と呼ぶに躊躇しないであろう。」

 

孔子諸子百家のひとりと言われるように、当時は様々な学派があったと考えられます。したがって、孔子の弟子である子夏の言う「学んだ」は一般論ではなく「孔子の学問を学んだ」とみなすことができます。そのことを念頭に置いて解釈してみました。

 

訳:主観読みによる解釈

子夏弟子達に語った。

孔先生のような賢者を見出し、慕い、敬意を払い、その下で学び、

家庭、仕事、友人との人間関係において、学んだ道徳を実践している、

それが典型的な「(孔子の)門下生として学んだ者」の姿であろう。

ところで、もし、門下生ではなくても、同じように実践できている者がいるなら、

私は、その者も門下生と同様に「学んだ者」とみなすだろう。

人の内実をみる

今の日本から考えてみましょう。高学歴、高職歴でも、その分野の専門家としても、「人」としてもどうかと思う者がいます。2021年10月元法務大臣による公選法違反の罪が確定しました。このような事例はたくさんあります。それにもかかわらず、私たちの周りには、学歴・職歴ブランドが大好きで、それだけで人を判断する人がいます。

孔子の時代もそうだったのでしょう。だから、学歴という「人の外見」よりも「人の内実」の大切さを説くことには意味があったのだと思います。

様々な学派がある中で、孔子門下は当時の学歴ブランドだったと考えられます。そのブランドに憧れて入門した弟子もいたことでしょう。そのような弟子達に、子夏は「君たちは孔子門下というブランドを求めてやってきたわけではなく、孔先生という賢者を見出し、慕い、その下で学びたいと思ってやってきたはずだね」と釘を刺しているようにも思えます。そして、大切なこととして実践を挙げます。詳細に言えば「根本を理解し、基本を実践し、成果を出している」となります。そして「それができていれば、学歴は関係ない」と結論づけます。その主張には説得力があります。

孔子門下というブランドの中枢にいながら、そのブランドには本質的な意味は無いのだと説いているわけです。趣があります。

賢者を見出し、敬意を払う

今の日本では、新自由主義的な政策が浸透していて、教育や学問(研究)においても、国などの「公」による金銭的な支援が削減され、「私」の負担が増えています。その結果、賢くても経済的な理由で高等教育を受けることができない若者が増え、将来有望な研究でも「今稼げない」ことで研究を進めることができない研究者が増えています。

今の日本は「賢者を見出し、敬意を払う」ことをしない国になりました。

「光で化学反応を起こす光触媒を発見し、ノーベル賞候補にも名前が挙がる藤嶋昭・東京大特別栄誉教授が8月末に、自ら育成した研究チームと共に中国の上海理工大に移籍した。(毎日新聞 2021/9/2)」というニュースがありました。

日本でお金を工面できない賢者は海外に活躍の場を見出すしかないのかもしれません。

そして、「(能力の有無に関係なく)金はある」という人物が高学歴、高職歴を占めていくことになるのかもしれません。

 

教訓:本章の教訓をまとめます。

有能な人物を判断するのに役立つ二つの着眼点がある。

1.その分野の根本を理解し、基本を実践し、成果を出していること

2.その分野の賢者を識別し、その賢者を慕い、敬意を払うことができていること

そのような人物であれば、学歴や職歴を問う必要はない。

 

今回はここまでです。

本章に限らず、論語ではよく賢者に言及します。論語より古い『詩経』にも賢者に対する言及がみられます。賢者への関心は中国の文化的伝統であることが分かります。

次回は『詩経』を紹介します。

注)この記事にある解釈は筆者の主観による解釈です。